「日本最大の円墳『富雄丸山古墳』と霊山寺を巡る」に参加して
あ(令和5年)11月12日、話題の富雄丸山古墳の見学に参加しました。この古墳は、校友の吉村升平氏が早くからその考古学的価値を力説され、奈良市もその熱意に動かされた結果、調査が行われ、前代未聞の「蛇行剣」と「鼉龍文盾形銅鏡」が発見され、マスコミにも大きく取り上げられていました。その現場を見る事が出来る嬉しさに25名の参加者は心をときめかせていました。
あ若草台中央のバス停を降りて小高い丘を登ると、樹木が伐採された見晴らしの良い場所にでます。古墳の周囲は柵がめぐらされ、監視カメラで厳重に監視されています。吉村氏と奈良市埋蔵文化財調査センターの鐘方所長の案内で、中に入れて頂きました。
あ古墳は円墳で3段になっており「造り出し」が付いています。墳頂部の埋葬施設は既に盗掘にあっていますが、今回の発見は未盗掘の造り出し部分から発掘されました。私達は小雨の中、歩きにくい傾斜地の仮設の足場をたどり、説明を受けながら、墳頂部から周囲を見渡して、この位置が富雄川と大坂街道の交差する交通の要衝である事を確認しました。次回の調査でいよいよ木棺が開けられます。埋葬者は誰かなど多くの疑問が今後解明されていくことでしょう。
あ次に、風情ある富雄川沿いを散策して霊山寺に到着。国宝の本堂で、ご住職から一時間に亘って「般若心経」の読経と有難いご説教を賜りました。
あ寒い一日でしたが、発掘責任者の解説付きの古墳見学と、由緒あるお寺を参拝できましたこと、吉村様並びに同好会世話役の皆様、本当に有難うございました。
※( 世話人より)
・中村様にはほぼ1年前に原稿をいただいておりましたが、「若草会だより」発行時期の都合で今回の掲載になりあました。お詫び申し上げます。
・富雄丸山古墳は、その後、木棺内部の調査が進められ、木棺の規模や構造が確認でき、さらに竪櫛や青銅鏡3 面あの出土、水銀朱の散布等も発見されました。
中村 重夫(昭和46年 経営卒)
あああ2023年11月12日 富雄丸山古墳にて