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特別寄稿  「学思寮の想い出」  山添村村長 野村 栄作(昭和56年 理工卒)2024年4月19日

大学での思い出と言えば、「学思寮」で過ごした2年間かな。花の学生生活を満喫したく「京都で下宿生活」を夢見ていたが、申し込んでいた寮に当たってしまった。奨学金生活の私に選択の余地はなく、激安の寮に決定。幾つかあった寮のうち、私に配当されたのが学思寮3階4号室だった。「寮って、二人部屋かな?個室はないやろなあ。ええ人やったらいいなあ?」などと思いながら案内された4号室は、なんと8人部屋!真ん中に談話室があり、両サイドに4人分の机とベッドがある3部屋構造の造りだった。メンバーは、1回生から4回生まで、北は北海道から南は九州と、バラエティーに富んでいた。

たばこの煙が蔓延する談話室には、いつも四、五人が集い、様々な方言が飛び交う。「いつ大学行ってんの?」というのが第一印象だった。しかし、田舎出の私にとっては、面白く興味のある話ばかりで楽しかった。まだ、学生運動が残っていて、寮では、「メガネが壊れた!カンパよろしく!」とかの館内放送が度々流れた。4回生の先輩から「寮に入ってたら、一般企業への就職は難しいで。」と聞かされた。寮では、他の大学との「合コン・合ハイ」が開催されるなど楽しい催しもあったが、やはり寮費や光熱水費が安かったことと二日に一回風呂があったことが、一番うれしかった。

1回生の途中から、マージャンを覚え、部屋のメンバーと千本北大路にある雀荘に行くようになった。雀荘のマスターと仲良くなり店が閉まってから朝まで、千円で打たせてもらうようになり、そのあと、地下にある敦煌というラーメン屋に行くのがパターンとなった。先日、この会のマージャン同好会に入れていただき、楽しい時間を過ごせたのも寮での経験があったからだと感謝している。

3回生からは、泊りがけのバイトを始めたため寮を出ることになったが、ここでの2年間の思い出は、今でもたまに蘇ってくる。同部屋の先輩方とは年賀状のやり取りをしていて、この職に就き、東京へ行くことがたまにあり、東京の先輩と45年ぶりに会う機会を得た。髪の毛は薄くなっていたが、雰囲気は全く変わっていなかった。また、九州に住んでいる同輩からも先日便りをもらった。懐かしかった。「学思寮」の学思は、論語の「為政第二」に由来し「子曰、学而不思則罔。思而不学則殆。」から引用されたそうだ。そして、学思寮は、1988年3月で、閉寮になったそうだ。45年ぶりに調べ確かめることができた。

出来れば、共に過ごした方々と再会したい。今回このような寄稿の場を頂き、感謝、感謝。

 

 

 

 

 

 

 

 

ああああああああ立命館大学 学思寮


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