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特別寄稿   「啄木短歌と異文化理解」  太田 登(天理大学名誉教授)2021年10月20日

ふるさとの山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

今年の7月の「立命文華会」で、「石川啄木の望郷歌をめぐって」と題する講演をしました。 その時に、この「ふるさとの山に向かひて」の望郷歌が多くの人々の心に響くのは、五七/六/八七という破調でありながら、なだらかなリズム感をかもす音韻の効果にあることを強調しました。

この「ふるさとの山」の望郷歌は、そうした韻律の上で気になることですが、一行目「ふるさとの山」と、三行目「ふるさとの山」とがリフレインになっています。三三音節のうち一四音節が「ふるさとの山」という音の響きでつながっていますので、読者にとっては無意識のうちに自分自身の「ふるさと」の「山河」をイメージすることになります。 おそらく啄木はそのことを意識してわざと「渋民」(しぶたみ)とか「岩手山」とかの固有名詞を詠みこまなかったと思います。 そうすることで、読者が自由に感情移入し、それぞれに私の、僕の「ふるさと」の風景をいわば映像的に可視化できるようになります。 たとえば、私自身は「やまとは国のまほろばたたなづく青垣山ごもれるやまとし美し」の奈良市で生まれ育ちましたので、若い頃に山の見えない東京で暮らしていた時に、若草山や生駒山の風景がたまらなく愛おしく思ったものでした。

このようなノスタルジアは日本人だけのものではありません。 じつは個人的なことですが、今から10年ほどまえに、台湾の台湾大学で日本文学を教授していました。 台湾の学生達に異文化としての日本文学を理解してもらうために、啄木の短歌を教材にしました。 ご存知のように台湾の首都である台北はいまや世界でも有数の大都市ですが、学生達の大半は高尾や台中などの各地から集まって来ています。 最初はこの「ふるさとの山」の歌がどこまで彼らの心に届くか心配していましたが、すぐに反応と共感がありました。 というのは遠くはなれた故郷を懐かしく思い浮かべる地方出身の学生はもとより、超高層ビルが林立し、高速鉄道や高速道路が完備した台北に生まれ育った学生にも大都会特有の匂いに「ふるさと」の味覚は膚身に染みついているからです。 啄木の歌う「ふるさとの山」は、現実の山河の風景につながりながら、その一方で音響、色彩、匂いなどのさまざまな感覚をとおして「ふるさと」という原風景が新たに創造される魅力があり、その魅力によって多様な異文化がつながるということに気づかされました。

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あああああああああああああああああああああああ令和3年7月31日 太田登先生(左)と岩井昭雄会長


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