7月3日(日)10時30分より、京都府南西部に位置し岩清水八幡宮の門前町として有名な八幡市の松花堂美術館別館において、八幡支部「えんじの会」平成23年度総会が開催された。
第一部は総会。岡島完治会長(S40/1965法)は、「地域別に担当者を定め、会報などを会員に直接手渡しするなど、地元密着型の校友会活動を継続してきた本会に対し、今校友会各方面より大きな注目が集まっている。互いに顔を見知った会員同士の付き合いは、本会活動にも一種の寛ぎを与えているのではないだろうか。自分は今回をもって会長を辞すが、是非この素晴らしい風土を発展させていってほしい」と述べ冒頭挨拶とした。
その後、校友会本部事務局より参加した野村慶人課員による学園・校友会近況報告を経て会務報告が行われ、金谷茂新会長(S42/1967文)の就任などを軸とする新役員体制が発表されたほか、八幡支部独自発案の「東日本大震災で被災した校友の心の復興支援策」について構想が報告された。
第二部は、元京都市埋蔵文化財研究所の主任研究員で、現在は八幡市教育委員会文化財保護課で主幹を務める小森俊寛さんを講師に招き、『文化財から見た八幡のまちづくり』と題する講演が行なわれた。
小森さんは、京都の裏鬼門としての役割を果たした八幡宮の歴史的位置付けや、三川合流地点(木津川、宇治川、桂川)に位置し古くより交通の要衝であった八幡の地勢等に触れつつ、土器の発現などから"男山文化圏"ともいえる都市郊外型の生活圏があったのではないか、との推論を展開。「現在史は歴史の最先端である」との概念から、過去の歴史をでき得る限り正確に再評価し、現代のまちづくり(都市創造)に反映させるべきであり、東日本大震災復興のまちづくりにおいても、そのポリシーを貫くべきだと述べ講演を締めくくった。
第三部は懇親会。金谷新会長は「これまでの会長が築かれた活動実績をもとに、会員相互の総合力で今後ますます活動を盛り上げたい」と力強い挨拶を述べた後、最高年齢参加者の山田治男さん(S19/1944専法)を紹介。山田さんは、通院途中のバス車内での本学現役学生との心温まるエピソードを披露しつつ「立命館人はいつも溌剌と輝いていたい!」と声高らかに述べ乾杯発声を行った。
中央卓を一重に囲み和やかな歓談が進むなか、岡島前会長が先日の関西新人歓迎会に出席した際に構想を得たというゲームが開始される。内容は五十音の各文字を一回ずつ使って、八幡市内の地名を数多く作り出すというもの。出席者には、五十音を記した紙と鉛筆、5分間の検討時間が与えられた。1位の人にはプレミアム性が高い校友会グッズが授与されるとあって、同伴の夫人もあわせて全員がゲームに集中し大いに盛り上がった。
会の一隅では、惜しくも今年4月に急逝した会員故小野環(S26/1951経)さんを偲び、追悼企画として故人作の川柳と写真が展示され、作品を前に個人を追想する会員の姿も見受けられるなど、会員同士のゆるぎのない関係がうかがわれる。
瞬く間に迎えた懇親会の最後は、今回副会長に就任した安居利晋さん(H6/1994産)がマイクを持ち、同支部のほか大阪校友会常任幹事、2011年校友大会実行委員など、複数の校友会関連役職を務めていることを報告しつつ、「八幡で生まれ育った自分は、地元に対して強い思いがある。同支部においても、八幡から立命館に学ぶ学生達を創り出すような活動を是非とも展開していきたい」と述べ、先輩諸氏の万雷の拍手と声援のなか見事な中締めを行った。
なお、同支部は通称名「えんじの会」にちなみ、総会時には参加者全員が「えんじ色の校友会法被」を着用することを会のアイデンティティとしているが、今年は予想以上に気温が上昇したことと、節電の影響で空調が制限されていることも相俟って、一部参加者を除き法被の着用を抑制。法被は幹部の手により丁重に折り畳まれ、次の出番を待つことになった。