「滝川事件70年」「学徒出陣60年」という歴史的な年の12月8日、第50回を迎える「不戦の集い」が衣笠キャンパスに隣接する国際平和ミュージアムの「火の鳥」の壁画に包まれた「わだつみ像」を前に行われた。50年前、1953年の12月8日、比叡颪の吹きすさぶ曇天の広小路キャンパスに2千人の学生・市民を前に行われた「わだつみ像」の序幕式。故末川名誉総長らの「像とともに未来を守れ」の声にこたえ、学生代表故三輪桂三さんが読み上げた「不戦の誓い」。この前日には、わだつみ像歓迎大会・学園復興会議文化祭に参加すべく京都大学から広小路キャンパスへ移動していた学生約120名が荒神橋上で警官隊の力づくの阻止に会い、欄干が壊れて十数人が河原に転落、重軽傷を負うといういわゆる「荒神橋事件」が起きている。単独講和と日米安保条約締結、破防法施行、警察予備隊発足、朝鮮半島での戦火が収まりつつも東西の厳しい対立といった国内外の緊張情勢の下で起こった出来事であった。母校立命館ではその翌年以来毎年欠かさず像の前で「不戦の集い」を実施してきた。「不戦の集い」では、実行委員長長谷川幹さん(文学部4回生)が「過去は私達に『一人ひとりの不断の努力によって平和を守れる』と言っている」と訴え、長田豊臣総長は、「世界の平和に貢献出来る学園創造を進めたい」とご挨拶。三輪道子さん(故三輪桂三氏奥様)は、「像に込められた願いを、未来に生きる若者たちに引き継いでもらいたい」と伝えた。 また今回、「不戦の集い」にあわせて、大南正瑛、逸見英夫、畑中和夫、高橋寛治各氏の呼びかけで「わだつみ像建立50年に集まろう会」(事務局:吉田幸彦、星宮昭生、三輪道子各氏)が開催され、当時の仲間約80名が集い、「不戦の集い」に参加した後、国際平和ミュージアム、末川記念会館、旧広小路キャンパス、清輝楼跡(立命館草創の地)、荒神橋、旧市警本部、を見学し、衣笠キャンパスで懇親会を開催した。 12月9日、日本国政府はイラクへの自衛隊派遣を決定し発表した。憲法と教育基本法に基づく「平和と民主主義」を教学理念とする立命館に学んだ私達は、過去から何を学び、未来に向けどのような選択をすべきなのか。不戦のために何をなすべきなのか。「不戦の集い」では、約270名の参加者を前に次のような詩が紹介された。 死んだ人々は、還ってこない以上、 生き残った人々は、何が判ればいい? 死んだ人々には、なげく術もない以上、 生き残った人々は、誰のことを、何を、嘆いたらいい? 死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上、 生き残った人々は沈黙を守るべきなのか? (フランスの詩人ジャン・ダルシュ) | |
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