8月7日(木)豊川市諏訪墓地において、立命館大学愛知県校友会東三河支部が、豊川海軍工廠戦没学生慰霊祭を執り行った。1945年8月7日午前10時13分から10時39分までの26分間、当時東洋一の規模といわれた豊川海軍工廠に、3,256発の爆弾が投下された。(豊川市ホームページ:豊川海軍工廠空襲目撃図より)
この空襲により勤労動員していた中学生、女学生、学生等約2,500名もの尊い命が奪われた。その中には、立命館大学の4名の学生(本田義次氏、津野森正氏、石川厳氏、相原和男氏)が含まれていた。戦後その同級生の方々は「立命館大学22年専経同窓会」を組織し、4名の慰霊に努めて来られた。
33回忌に合わせて作成された慰霊碑は、豊川市のご配慮のもと、他大学、高等女学校等の慰霊碑と共に、愛知県豊川市にある諏訪墓地に設置された(慰霊碑の追悼文は末川博元総長。除幕式には細野武男元総長もご臨席)。以来、毎年同墓地にて慰霊祭を執り行ってきた。その後同窓会の高齢化に伴い、20年前からは愛知県校友会東三河支部が、校友会事業の一環として慰霊碑の清掃を行い、慰霊祭のサポートに取り組んできた。
今回、戦後80年の節目を迎えるに当たり、学校法人立命館から仲谷善雄総長が出席し、豊川海軍工廠戦没学生慰霊祭を執り行った。
慰霊祭は、鈴木康仁会長('80年産社)の挨拶から始まった。太田純副会長('94経営)氏が司会として進行し、全員で校歌を斉唱した。
黙とうの後、仲谷善雄総長より、豊川空襲で犠牲となった本学学生4名のお名前が、お一人ずつ読み上げられ、追悼の言葉が述べられた。「本慰霊祭は、愛知県校友会東三河会の皆様により長年にわたり執り行われており、慰霊碑の清掃や式典の運営に対し、深く感謝申し上げます。」と述べるとともに、「立命館大学は『平和と民主主義』を教学理念に掲げ、国際平和ミュージアムの運営を通じて、戦争の記憶と教訓を次世代に継承する役割を果たしています。今後も大学と校友が協力し、慰霊と平和への誓いを共有・継承してまいります。」と締めくくられた。
続いて、参列者全員で献花を行い、80年前に空襲のあった時刻には、同市内に一斉に鳴り響くサイレンに合わせて黙祷を捧げた。
また、村田修一相談役(’60年法)より「慰霊祭は東三河支部の使命として執り行ってきました。皆様の支えがあってこそ継続できたことに、心より感謝申し上げます。」と追悼の辞が述べられた。その後、参列者全員で記念撮影を行い、慰霊祭は閉式となった。閉式後は、戦後より合同で慰霊祭を執り行ってきた松操高等女学校の慰霊碑に参拝した。
慰霊祭後は、豊川海軍工廠平和公園を見学し、着弾の痕跡を残す遺構から、見学者は空襲がいかに大規模であったかを想像した。その後、戦時中に実際に学徒が働いていた火薬庫など、工廠内部を視察し、当時の様子をうかがい知ることができた。
最後に豊川稲荷(円福山豊川閣妙厳寺)にてご祈祷を行い、参列者一同、80年という歳月の重みと平和への強い願いを共有した。
なお、校友会本部事務局からは井上事務局長・田中課長補佐が参列した。