沿岸部を中心に甚大な被害をもたらした新潟地震から一年後の1965年、末川博 元総長は進学懇談会のため新潟を訪れています。その時に末川総長を囲み、やがて新潟支部(現・新潟県校友会)設立へと導いた校友を中心に当時を振り返る座談会が、2016年4月3日(日)に行われると聞き、お邪魔してきました。会場となったANAクラウンプラザホテルの前身はホテル新潟。新潟県支部発会式はそのホテル新潟で開かれており、半世紀の時を経て同じ場所に当時のメンバーが集ったと思うと、感慨深いものがあります。
座談会でお話しいただいたのは松沢静雄氏(58理工)、滝沢一彦氏(59法)、大西淳氏(61理工)、大川戸日出雄氏(61文)、村山教二氏(65文)、小島勝治氏(67文)という大ベテランの6名。お話の中で、発足した当初は会費が5000円(!)と高く総会を毎年開くことは困難だったということ、一方で遅れて発足した土木関係者の会である建設きぬがさ会は勢いがあり、校友会はきぬがさ会に半ば背中を押されるような関係が数年間続いていたことなどがわかってきました。その後1990年から新潟で始まった立命館大学の入試や、創立30周年記念式典などいくつかのターニングポイントを経て、今日のように活発な新潟県校友会へと続いたようです。
最も盛り上がった話題は当然、支部設立のきっかけとなった末川元総長の新潟訪問時のエピソード。到着時に5~6名で駅までお迎えに行ったとの記述や、支部発会式の席で末川総長から揮毫を授かった人物がいるとの記録が残されていますが、それはいったい誰なのか? 限られた史料と50年前の記憶を手がかりにパズルのピースを埋めていく作業は、さながらミステリー小説を読み進めるようにスリリングな体験でした。
新潟県校友会では現在、創立50周年に向けた実行委員会が発足しており、樋口和道実行委員長(78法)、福田仁史記念誌部会長(91文)を中心に記念誌を編纂されている模様。残された謎は記念誌の中で明らかになるのでしょうか? 完成が楽しみです。