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『京都三大学-京大・同志社・立命館-東大・早慶への対抗』(書評)2011 年 4 月 2 日

 この本の情報を提供いただきました浜田平穂さんに書評をお願いしたところ快く引き受けていただきました。

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『京都三大学 京大・同志社・立命館-東大・早慶への対抗-』橘木俊詔 <著>(岩波書店、2750円)

 京大、同志社、立命館と記述はすすみ、立命館のスペースは、計67ページで、28パーセントとなっている。

 先ず、創設者の中川小十郎は、京都法政学校から、「立命館」の名前を、西園寺公望から譲り受けた。

 中川小十郎は丹波国馬路村(現・亀岡市)の出身で、東京帝大卒後、文部省の官吏となり、西園寺文部大臣の秘書官となる。1897(明治30)年西園寺文相での京大の創設時に、初代書記官(事務総長)となる。

 中川の基本的な思想は保守主義で、これが、軍国主義の高まりの中で、”禁衛隊”となっていく。戦後、GHQのよって、武道専門学校、神宮皇學館、拓殖大学とともに、とりつぶしの憂き目にあった。これを、石原産業社長の石原広一郎の肝煎りで、京大教授の末川博を学長招聘に成功、廃校の危機を救った。

 末川は山口県岩国市の出身で、三高・京大で法学部教授として、東大の我妻栄を凌駕する民法の権威であった。

 60年代末期の大学紛争後、70年代後半にかけて、事務出身から理事長となった、川本八郎のリーダーシップによって、拡大路線に転換した。1994(平成6)年のBKC,2000(平成12)年のAPUと続く。

 特筆すべき人物として、白川静(文字学で文化勲章)、安藤百福(日清食品)、流政之(彫刻家)、古田敦也、長谷川滋利(野球選手)とある。

 総じて、京大は東大と並ぶエリート大学であったが、その優位性をやや低下している。

 同志社は創設の頃には、日本を代表する人物を輩出していたが、現在は昔ほど指導層を輩出していなす。

 京都にある三つの大学が、東京一極集中の煽りで、存在感が低下している。

 私大として、同立が早慶に追いつくには、中央と地方のハンデの上に、早大に「稲門会」があり、慶應に「三田会」があるが、校友会組織が「マスコミの早稲田」「経済界の慶應」の大きな支えとなっている。この就職戦線将来像をどう打開するのかの問題提起がなされている。

                 (31年文卒 浜田平穂)


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