18日の金曜日は、計画停電が夕方6時を過ぎてから始まりました。
あたり一面灯りが消え、主要道の交差点すら所々信号のない道を、路線バスで帰路につきました。
家の玄関付近も真っ暗で、「お帰りなさい、おつかれさま」と言う、妻のいつもの明るい声が救いでした。
ローソクと懐中電灯の灯りで食事をしましたが、暖房のない台所で温かいお茶が身体に沁みわたるようでした。
娘は2人とも家から離れていますが、
栄養士の長女は、食材の購入や衛生安全面の管理、自身の通勤手段の確保などで大変なようです。
日赤勤務の次女は、シフトに入って福島への救援物資の調達を担当しているようです。
それぞれ、おかれた状況で全力を尽くし、いくらかでも役に立って欲しいと願っています。
発売中の「週刊現代」で、
作家の伊集院静さん(同じ年)が、「被災地・宮城から見たこの国」のタイトルで投稿しています。
-あの津波を「映画を見ているようです」と話す無神経なキャスター、厚化粧して被災地でレポートする女子アナ、現地に入って居眠りする副大臣...と。
仙台に住む彼自身も大きな被害を受けているにもかかわらず、「私は被災者ではない。被災者というのは孤立しても生きようとして懸命になっている人。不幸にも生を断たれたものと、その家族、友人のことを言う。」とありました。
この言葉の持つ意味は重い。
被災地にしんしんと降る雪は、本来ならば春を告げる‘なごり雪’のはずだったのに...。
私見ですが、
選抜高校野球は開催中止にして欲しかったし、プロ野球の3月中の開催などは言語道断の極みです。
平常時でなく、どうして緊急非常時のイメージで世の中のこと全て考えられないのか残念至極です。
今年1月の宝ヶ池での会議の翌日、上賀茂神社へ行き、権禰宜の乾光孝さん(校友)に厄除け(後厄)の祈祷をしていただきましたが、こういう状況になりますと、彼の祈り校友の祈りが背中を後押してくれている気さえしてきます。
ありがたいことです。
群馬県校友会 石橋 博(昭和49産社)