校友会というと、ともすると、一部の長老OBが牛耳っていたり、特定の仲良しグループが私物化していたり、また、男性中心で女性にとっては決して居心地の良くない、それでいて年会費等はしつこく徴収されるといった悪しきイメージがある。
校友会も、目指すはもちろん世代間のバランスのとれた花も実もある魅力的な活動・運営を行っていくことである。年に一度の総会ともなると60代70代の超OBから、卒業間もない平成のヤングたちまで、まさに世代を超えて集まってくる。総会でのあいさつは手短かに、事業報告も会計報告も段取り八分で簡潔明瞭をモットーとしている。皆、母校の話題を酒の肴(さかな)にし一時を過ごしたい仲間ばかりである。皆、本来の仕事や家庭があり母校への思いは二の次、三の次となるが、かけがえのない青春の一ページとしてそれぞれの人生にさわやかな光を投げかけ続けている母校に、そして夢多かりし日々に思いを寄せることは、そのかかわりあいの中で、自らの視野を広め、限りない裾野の拡がりを感じながら、豊かな人生を送ることにつながると思う。
校友会って?...まぁ、一般的にはこんなイメージでしょうか。
【卒業して5年の赤城クンの場合】
仕事に夢中というか精一杯、社内での人脈づくりに東奔西走、校友会の案内など来ても基本的に無関心、総会に行っても知ってる人もいないし、といって昔の仲間ともそこそこは連絡とりあってるし、会報とかで母校の様子はだいたい分かっているし、高い会費払って参加して挙句の果てに自分の居場所がない...なんてことになったらなどと考えてしまう。
【卒業して10年の榛名サンの場合】
結婚して愛する夫と可愛い2人の子供に恵まれ忙しい中にも充実した幸せな毎日、京都での青春時代を思いだしながら楽しい一時を...なんて校友会からの案内が来ても、現実の幸せに勝るものなしといった感じ、というかホンネのところでは、夫に小さな子供を頼んでいそいそと出かけるのもチョット気がひけるかなぁ?でも校友会にもチョッピリ興味あり?という感じ。
【卒業して20年の浅間クンの場合】
社内でも中間管理職として知識・経験の蓄積、人脈の構築もできてきた。大学時代の仲間とたまに会って、母校の様子について情報交換したり、また、色々な場面で自分のポジションが気になってくる年代でもある。対外的な人脈に興味が湧いてきて、今まで経験しなかった自分探しの旅に出てみたくなるのもこの頃か?校友会に関心が出てくるのもだいたいこの頃か?
校友会を一つのオーケストラに例えた場合、100名を超えるオーケストラ...といってもそれは各パート・セクションのそれぞれの集合体であり、緻密な練習を重ねた高度なアンサンブルの集合体である。弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器とあり、各プレーヤーの個性や能力を見極めつつそのサウンドを一貫性のある安定した響きにまとめていくのは大変な作業である。校友会におきかえると会長は指揮者、幹事長はコンサートマスターといったところでしょうか。各パート・セクションのバランスが悪く、練習も不十分で本番前の音合わせも出来ていないようでは、しょせん良い演奏、校友会運営など期待できるわけはありません。小さなアンサンブルを丁寧にまとめていく作業、いうなれば校友会内にある仲間同士、職域、地域などさまざまな多くの会員が関わっている小集団を一つ一つ大切にしていく作業、その集合体が年に一度の総会であると考えれば良いでしょうか。お花見良し、納涼会良し、ゴルフコンペ良し、紅葉狩り良し、忘年会良し、ただし、それがいつも役員中心の一握りの特化されたメンバーによるものであったら、それは数あるグループの中の小さな一集団活動と同じ、だったら、いっそのこと総会の実行委員を持ち回りでやれば良い。幹事年を決めてスタートし、毎回年度を下げていき会員の多くのメンバーが校友会というものを意識しつつ関わっていく状況をつくっていけば良い、現実的には困難な問題もあるが、要は閉塞感からの脱却、透明感ある開かれた校友会へのプロセスと考えることが大切である。総会の開催通知を出しても返事があるのはせいぜい20%程度、年会費納入も思うにまかせず、総会出席者も一ケタ台、私など、「校友会って?...その魅力に迫る」どころか、自ら「魅力ならぬ...微力」を痛感することもしばしばである。
実は10年前まで、群馬県は全国で唯一校友会が存在しない都道府県であった。そこには、それなりの事情や背景、地域性や県民性といったものが存在していたのであるが、その辺りもふまえた中で、次回は、設立時の発起人代表でもある石橋会長に「花も実もある群馬県100年校友会」その設立経緯と目指すところについて述べていただきますのでよろしくお願いいたします。
広報委員長 坂東太郎