去る2009年7月3日金曜日、冷たい風が身にしみる南半球の冬がまさに訪れたというここシドニーにて、記念すべき第1回立命館大学校友会会合がとある新興住宅街のマンションのGround Floorで開かれた。
まだ開発中のビルディング街、ほとんどそれはマンションでGround Floorには各商業テナントが今や入ろうとしている段階であった。シドニーの冬の6時といえば辺りはもう真っ暗。こんなところみんなわかるんだろうかというような場所へ辿り着いた。
お店はこぎれいなレイアウトにJAZZが似合うようなおしゃれな雰囲気のレストラン。
まだ、だれもお客さんは来てなさそうだな?と入口から入るとお店の方が「会合の方ですね。」と快く招いてくれたのだった。椅子にはすでに誰かの荷物が置いてあり、実はもうすでに一人先着ありだった。早速たぶんこの位置に座ったほうがいいだろうなという位置に腰を掛け先着の人を待つことにした。しばらくすると、若々しい方、この方が会長?と思ったが先方から、いや~~~事務局長のえいこさん、とまた先を越されてしまったのだ。その後の会話は 「まあよくしゃべるひとですわ。」と関東人の私まで関西弁になってしまいそうな勢いですっかりおすかーのペースに巻き込まれた。
どうしておすかーというニックネームになったのかという説明終わらずして会長が参上。う!また若い!これが青年実業家のヨッシー会長。そうなのだ、このシドニー校友会はみんな若いのである。ずうずうしくも自分も若いつもりになっている。初対面にもかかわらずもうすでにおすかーとヨッシー会長は昔からの知り合いのように気さくに喋られていた。
ここで簡単に私から見た参加者の紹介を。
ヨッシー会長: 今年初めにシドニーへ乗り込んできた若き青年実業家、自分の会社を経営されている。熱く語る彼のビジネスの野望にはどこかロマンチストさを追求するような夢と希望がいっぱい詰まっている。大のバイク好き、カメラも趣味であいのりファン。
おすかー: バリバリ京都人。関西弁で人を自分のペースに巻き込む。海外でもなおボケと突っ込みを欠かさない日夜漫才のような会話を連発できるいわば才能ともいわれる言語能力。これでCPAこちらの会計士を目指す数字系もばっちり。要領のよさはぴか一光る。
えいこさん: 私自由気ままなシドニーの主(婦)。在豪15年、今やバブル時代の就職成金。一人4歳児の子持でついでにもう一人家にスポーツとくにイチロー吉の旦那もいる。今までなぜにオーストラリアに立命館だけ校友会がないのか不思議のまま15年過ごす。
そうこうしているうちに、もう一人校友会員登場。
ダイ: まだ来て6カ月のワーホリ(ワーキングホリデーの略)君。実は30歳までとれる最後のワーホリでこの国ではギリホリといわれる希少な存在。この国でワーキングホリデーから世界のTopレストランでミシュラン5つ星レストランへの名を挙げたシェフTETUYAのような一流シェフを目指す。特体制水球児。すごくおとなしいけど、そういう人ってきっと時間がたつと逆変するのかも。
しかし、ダイはお酒が全く飲めない。逆変しなかった。
そこへ一風変わった身なりの少年現わる。彼こそがKenである。
Ken: シドニー大学へ通う中国人。実家は中国でこそエネルギー資源大国、石油を扱う会社を経営するお家での御曹司か?服にITALIAとありイタリアのサッカーのサポーターかと思ったら理由はかっこいいから着ているのだという。大のお酒好き?ナイトクラブも毎週欠かさず。一番若くしてすでに人生の醍醐味を知る。
そんなかれらは今日初めての会合にもかかわらず一致満場の団欒であっという間に時間は過ぎていってしまう。アイデア豊富なおすかー副会長の冴えわたる一提案で「せっかくオーストラリアに来ているのだからで呼び合う名はファーストネームがふさわしい。それぞれのニックネームで呼び合おうじゃないか。」とそれぞれにあったニックネームを考えだした。その場に至ってもオスカーの意見は冴えまくる。ヨッシー会長はロマンチストな故ヨッシーだけでは物足りない、Sweetをつけるべきであると。そこでヨッSweet会長となった、オスカーは日本での英語の先生(実は妹さんの旦那さん)にパーティーの場でみんな世界的有名人の名前を付けて呼びあった際、自分はアカデミー賞のオスカー名そのものをもらったそうだ。ダイはきっと私の想像だけど、御両親が早稲田実業の甲子園球児ピッチャーの荒木大輔ファンだったのではないかと推測する。KENの場合自らが名乗り出た名前なのだがどこからでたのだろうか。ちょっとイチロー似なのでイチローのほうが似合うと思うのは私だけではないのではないだろうか。当の本人えいこは人一倍、他人のことを気にするタイプで一番この中では年上故、控えめに本名のえいこをおねえ的に呼んでほしいという願望からえいこさんとした。
これで全員のニックネーム完成。
みんな男性ということでスポーツの話、自分の趣味の話などに花が咲き、どうしてこの国に来たのかという話も皆興味深い逸話がそれぞれ飛び出し、だれもがこの国のフアンであることには変わりなかった。ここシドニーは会長いわく「大阪」で世界で何が起ころうとこの国はどの国にも多大なる影響を受けずにこの国の独自な見解や資源大国果ては今や経済大国の自信みなぎる展望にて突き進むEasy Goingなところがとても入りやすい国だったそうだ。
シドニーの魅力はあげたら数えきれないほどに膨大な要因が秘められている。よく昔言われた‘アメリカンドリーム’。それがこの国へ来る者へのだれしもが内に秘めた若人の闘魂なのではないだろうか。昔、オーストラリアはリタイヤメントされた方々の楽園と呼ばれ、特に冬どんよりと寒い北ヨーロッパから毎日スカッと晴れ渡る快晴の続くシドニーへ静養に来るところとして彼らが半永久リゾート地として選び、ちょうどよい具合の大きさと人口を保持する住みやすい街にしたのだった。2000年シドニーオリンピックが終わり第2の高度成長が近年のオーストラリアにある。ほとんど世界のミネラル資源をこの国だけで自給自足できると言われるほどの強みからこの資源国にバブルが到来する。物価がみるみるうちに上がるというのにバブリーな人たちがさらに物価をのしあげる。そんな国へ日本の普通の人々はただの観光などでは来るはずがなく、野望のある者のみぞワーキングホリデーや主に若人の留学の場所として学生たちが各Skillを取りにやってくるようになった、はたやこの国で何かのビジネスはできないかと何かを探しに企業家たちがやってくるようになった。
それが私たちなのではないだろうか。
ここシドニーでなぜ今まで立命館大学のみ校友会がなかったのかが世界七不思議のように難題として後世に語り継がれていくであろう。実際日本人人口の一番多いここシドニーに1970年代頃から普通の日本人が生活するようになって40年近く経てようやくの呼衆となる。
今までにそのような企画が起ち上がろうとしたにもかかわらずせっかくの滞在中にやむをえずオーストラリアからの転勤か何らかの理由で断念されていたのかもしれないが、晴れて2009年の冬、新たなる立命館大学の南太平洋オセアニア地域での多分初の校友会が起ち上がったのある。
この第1回校友会を基に私たちはこのシドニーでこれからいろいろな企画や催しを開催し、このシドニーでしかできない画期的なイベントを盛り上げていこうと意気震わせているのである。今回は1人を除くほぼ全員がシドニーで終結できたがさらにここ広いオーストラリア全土からたくさんの校友会参加者が増えていくことが望まれる。そして今回参加できなかったオーストラリア在住の方の次回第2回校友会への参加を心待ちしてやまない。
(文責中原)
場所:日本食レストラン 鮨雅 SUSHI MASA, 30Pyrmont Bridge Road, Camperdown, Sydney
日時: 7月3日金曜日18:30より
参加者: 作野 善教 (ヨッsweet会長)、中井 貴也(おすかー)、中原 映子(えいこさん)、神崎 大輔(ダイ)、李 傑 (ケンIchiro)、以上5名。