震災から1ケ月あまりが経過しました。
先日まで、私(このホームページを管理)の勤務先が避難所となり、その運営に携わっていたため、更新が遅れてしまいました。
仙台市内は、電気、水道が被災後、数日間で復旧し、ガスもほぼ全域で復旧となりました。
また、ここ数日は、春の陽気となり、桜やこぶしの花が満開に近い状態となりました。
仙台のシンボル、定禅寺通りのケヤキ並木は、新芽が赤く染まり、遠目には紅葉しているように見えます。
中心部を見る限り、地震があったことが信じがたいような穏やかな休日になっています。
その一方、海沿いの地域では、津波による壊滅的被害を受けたことにより、正確な行方不明者の数さえ集計できないなど被害の全容が現在もつかめていません。
下の写真は、仙台市若林区荒浜の様子です。
地震前に撮影したものと、先週=4月9日に撮影したものを並べてみました。
カメラの角度が若干、異なるのでわかりにくいかもしれませんが、どちらも、貞山運河にかかる深沼橋から北方向を見たものです。
津波の後、運河の両岸に広がっていた住宅街は、土台だけを残して消滅してしまいました。
2週間ほど前、宮城野区蒲生に行ってみましたが、似たような状況でした。
県北の石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市などでは、市街地のほぼ全てがこれと似た状況のようです。
県内の校友にも被災した方は少なくないようです。
たとえば、産経新聞の4月2日(土)の記事には、「「笹かまを絶やすな」地元のため再建決意」と題して、宮城県の名産「笹かま」の生産業者であるSさん(校友)の記事が掲載されていました。次のような記事です。
津波で工場3棟が全壊し従業員2人が帰らぬ人に。1人も行方不明のままで、「もう廃業しかない」という思いから、いったんは全員解雇を伝えた。
しかし、その数日後、石巻市の同業者の同級生の電話に、頭を殴られたような衝撃を受けた。
「『石巻はみんなで再建する。復興しなくちゃだめになるぞ』と言われた。おれたちも負けられないと思った」
奮起して解雇は撤回。従業員に「もう1度ゼロからやりたい。待っていてくれるか」と話すと「やりましょう」と返ってきた。
泥の中から工場の重要書類を拾い集めて再起の準備を進めた。得意先からの「再開したらまた取引させてほしい」との連絡が励みになった。
S氏は力を込めて「どのくらいかかるか分からない。だけど、またおいしいかまぼこを届けたい」と言う。
次に、大変、遅くなりましたが、3月18日に鹿児島県校友会 西元様から、次のようなメールが届いていましたのでご紹介します。
宮城県校友会会長 下村 泰雄 様、校 友 の 皆 様
こんにちは。鹿児島県校友会(広報担当・西元) で す 。
今回の 「東日本大震災」 では報道を見るたびに自然の脅威に驚き、被災された人々の姿に胸が詰まります。
被災された校友の皆様の安否も大変心配しております。
多くの被災者が食事や水、生活用品などの不足、更に寒さで苦しい日々を
強いられていることでしょうが頑張って下さい。支援の輪は広がっています。
甚大な被害、通信回線の混乱を気にしていて、送信を控えていました。・・・・ どうかこのメールが届きますように ・・・・・・。
鹿児島県校友会では昨日、新聞社を通じて義援金を送りました。
先ずは、お見舞いまで。頑張って下さい!!
鹿児島県校友会の皆様には、この場をお借りし、お礼申し上げます。
佐藤(法55年卒)