橋42025年4月13日、大阪・関西万博が幕を開ける。大阪APRIL 2025大阪府・大阪市万博推進局 企画部 儀典課 担当係長 石いしばしあゆみさん(’01国関)市職員の石橋歩さんは、これまで万博開催に向け、主に海外からの参加国に関わる国際的な業務に携わってきた。世界に目を向けるようになったきっかけは、中学生の時。親の仕事の都合で2年間、タイのバンコクに住んでいた1992年に、現地で大規模な民主化運動が起こったことだった。それを目の当たりにし、「なぜ、こうしたことが起こるのか」と疑問を持ったことが、後の国際関係学部進学につながった。大学時代は、ゼミでタイを中心に途上国の政治について学ぶほか、「国際関係学研究会」やオリター活動にも取り組んだ。「自主性が求められる学部で過ごす中で、自分で考えて行動することと、興味を持ったことは自ら貪欲に学ぶという姿勢が身に付きました」。とりわけ4年間で得た国際関係に関する基礎知識は、多様な国の人と関わる今の仕事でも大いに役立っているという。4回生の時に結婚し、卒業論文を提出すると同時に夫の仕事で渡米する。2人の子どもに恵まれ、数年間は専業主婦として過ごした。その後子育てをしつつ、改めて就職先を探すことも考えたが、子育てしながら民間企業で働くのは容易ではないと痛感する。そこで企業ではなく法曹を目指そうと、ロースクールに入学した。司法試験の合格には至らなかったものの「身に付けた法律の知識を生かして人の役に立つ仕事をしたい」と考え、大阪市の採用試験を受験。2010年、32歳で大阪市に入職した。阿倍野区役所や教育委員会事務局で10年余り勤務した後、転機が訪れたのは2021年。経済産業省の万博関連部署に大阪市職員が派遣されることになり、石橋さんが抜てきされた。「単身赴任になるし、自分に務まるかなという不安はありましたが、やらずに後悔するよりやって後悔した方がいい。思い切って挑戦することにしました」。2021年4月、東京・霞が関に赴いた。経済産業省では、万博に関わる国際関係の業務に従事した。万博の監督・規制を担う博覧会国際事務局のフランスの本部との連絡・調整のほか、外務省の職員とともに、万博に参加する国々との折衝にも臨んだ。「国を背負い、日本国としてどうあるべきかを考えて各国の代表者と折衝する外務省の方々の姿が印象に残っています。彼らと一緒に仕事をして、自治体とは異なるより広い視点で考える力が養われ、非常に勉強になりました」。またこれまでにないハードワークも経験した。「午前3時まで仕事をし、入浴と仮眠のために帰宅して午前7時に再び出社したこともあります。前例のない仕事だけに心身共に大変でしたが、『前例がないなら、自分の好きなようにやればいい』と前向きに捉えて取り組んでいました。何より大阪・関西のため、日本のために万博を成功させることに意義があると思うと、頑張りがいがありました」と明るく振り返る。2023年4月に大阪市に戻ってからは、万博推進局に所属し、万博前や会期中に大阪を訪れる国内外の賓客の受け入れ準備に奔走している。送迎や滞在・移動の行程作成、イベントへの随行・アテンドなど、膨大な業務と向き合う毎日だ。「これだけ多くの国の方々が大阪に来られるのは、万博だからこそです。皆さんに気持ちよく日本で過ごしていただき、たくさんの人と交流していただきたい。それが今後、日本と各国との新たな関係をつくることにつながると思うと、大きなやりがいがあります」と語る。国だけでなく、海外の企業の関心の高さも感じているという。2024年6月、「2025年日本国際博覧会『国際参加者会議2024年夏』」が奈良県で開催された。約160の国や地域、国際機関の万博責任者が情報共有・意見交換をするセッションが行われ、石橋さんも大阪市の担当者として参加した。「160もの国や地域などから、600名近くが一堂に会した光景は、圧巻でした。特に驚いたのは、女性の参加者が多いことです。女性の活躍においては、日本はまだまだ遅れているなと感じるとともに、性別に関係なく誰もが活躍できる社会にしていく重要性も、万博で実感できると思いました」。 石橋さん自身が体験したからこそ、「若い人たちに万博会場に来てほしい。実際に多くの国の人と交流し、異なる文化を肌で感じて分かることが、きっとあると思います」と熱を込める。「万博が終わってからも、大阪市民の皆さんが暮らしやすいだけでなく、国内外から多くの人が訪れるまちをつくっていきたいと思っています」と展望する石橋さん。日本が世界中とつながる未来をつくるために、今後も力を尽くしていく。 歩万博を契機に世界の国々とつながる未来を創造したい。
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