河﨑 国幸(’92法)令和6年元日に発生した能登半島地震から1年が経過しました。発災直後から校友会の皆さま方、そして全国の皆さま方からの心温まるご支援、ご声援にただただ御礼申し上げます。今は人とのつながりに感謝しながら日々を送っています。私は発災当時も今も震源地に近い石川県輪島市にある市立輪島病院で事務部長をしております。病院は住民の生命を守るためにも、いっときも休むことがあってはなりません。そのことを胸に、ライフライン断絶、病院内医療機器の倒壊と損壊、院内配管の破損と漏水など、壮絶を極める中での震災負傷者対応、市内介護施設全滅を補完するための院内介護施設立ち上げ、職員を守るための福祉厚生策実施など、数えきれないほどの対策を職員とともに実行し、3カ月後には院内応急復旧を達成できました。一方、市内は復旧さえもまだまだの状況です。この先何年、いや何十年かかるか分かりませんが、それでも私たちは前だけを見据え、一つずつ課題に向き合っていきます。被災地で生活を続ける私たちが最も恐れていることは、このことが時とともに風化し、皆さんの記憶から消えていくことです。校友会の皆さまにおかれましては、折に触れてご家族ご友人とこの話をしていただければと願っています。最後になりますが、私も自費出版した書籍とともに、微力ながらこの経験を後世に語り継いでまいります。能登半島の復興に少しでも力になりたいと思い、災害救援ボランティアに参加しました。作業は、民家に流れ込んだ土砂や災害廃棄物の撤去が中心でした。地震発生から1年が経過しましたが、当時の爪痕が今も深く残っており、地震だけでなく水害の影響の大きさも痛感しました。 初めは先の見えない不安を感じていましたが、作業を進めるうちに、私たちの行動が現状を少しずつ変え、それが必ず復興につながることを確信し、強い意志を持つことができました。今後も現地へ行き復興の支援をしていきたいと思います。 復興への願い友松 皇太(法4)2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」から1年が経過しました。“被災地のいま”を各校友会からお届けします。APRIL 202521~災害救援ボランティアとして能登半島を訪れた学生より~災害派遣医療チーム(DMAT)との打ち合わせの様子自費出版『能登半島地震発生直後からの手記』損壊した検査室復興のその先へ 被災地はいま。
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