校友会報「りつめい」No.294
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吉よし村むら文ふみ雄おRITSUMEI INTERVIEWAUGUST 20248東映株式会社代表取締役社長得た中で、希望の映像分野に最も近かった東映株式会社に入社を決めました。就職後、京都撮影所への配属を希望したものの、配属されたのは映画部門ではなく、大阪にあるイベント営業の部署でした。着ぐるみや特撮モノのキャラクターショーなどのイベントを企業や自治体に売り込むのが仕事です。電話帳を手に片っ端から電話してアポイントを取り、パンフレットを持って訪問するという地道な営業活動の日々でした。当時は各地で多くのイベントや博覧会などが開催されており、先輩が請け負った大きな仕事を手伝うこともありました。中でも記憶に残っているのが、1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」です。会期中、博覧会場内で催されるパレードやストリートパフォーマンス、ステージでのショーなどの運営を受託。私もスタッフの一員として手伝うことになっていました。ところが営業担当の先輩が急な事情で退職することになり、入社2年目の私がいきなり主担当として全ての業務を引き継ぐことになったのです。イベント事業や配信ビジネスなどに携わってきた経験を強みに、世界に通じる映像作品を制作し、 心理学を学びたいと思い、心理学部・学科のある大学をいくつか受験した中で、縁があったのが立命館大学でした。ところが入学してみると、私が関心を持っていたユングやフロイトに触れる機会が少ない上に、実験や解析といった理系に近い授業も多く、戸惑いました。入学するまで、心理学といっても幅広い学問分野があることを知らなかったためです。学ぶ中で言語心理学に興味が湧き、最終的には生成文法理論を研究して卒業論文にまとめました。勉強以外はアルバイトに明け暮れました。3回生からは、祇園にある割烹料理店で一番のスタッフになり、大将からは「もしどこにも就職できなかったら、弟子にしてやるからうちに来い」と言われたほどでした。映画好きの母親の影響で、幼い頃から古いハリウッド映画を観ていたこともあり、映画館にもよく行きました。当時祇園会館という名画座では、3〜4本立てで古い映画が上映されており、1000円足らずで一日中それらを観て過ごしたことを覚えています。とはいえ当時映画はもっぱら「観る」専門で、就職先として憧れたのはテレビ業界でした。父親が放送局に勤めていたこともあり、ドキュメンタリー番組を撮ってみたいという思いがありました。しかし第一志望のテレビ局は難関で就職はかなわず、いくつか内定を2023年4月から東映株式会社の代表取締役社長を務める吉村文雄さん。グローバルに存在感を発揮する会社に成長させるべく挑戦を続けている。 そうした経歴と現在、そして今後の展望を伺った。撮影:岡田 一也お客さまの喜ぶ顔を見ることが お客さまの喜ぶ顔を見ることが イベント運営の醍醍だい醐醐ご味味みイベント運営のさん(’88文)世界中の人に愛される 映像作品を届ける。

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