会報りつめい293号 デジタルブック
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APRIL 202424※SRS鈴鹿サーキットレーシングスクール(現ホンダ・レーシングスクール・鈴鹿):ホンダ育成枠に入るために1年間かけて行われる選考会参戦してきて、競争は苛烈になる。いつ契約を打ち切られるか分からない厳しい世界で、焦りが募った。「負けず嫌いだから、何より辞めたくないという気持ちが一番にありました。ここで道筋を外れたら、国内トップのスーパーフォーミュラにはもう出られない。そうなったらきっと耐えられないと思ったから、踏ん張ることができました」と打ち明ける。念願のSFLへの参戦権を獲得したのは、2021年シーズンが終了した冬のことだった。「周りのたくさんの人が僕をプッシュしてくれました。決して自分の成績だけで手に入れたシートではないと思っています」。太田さんを後押ししてくれた人々の期待に応えるように、SFLでは実力が一気に開花。シリーズランキング2位となり、ついにSFへの参戦権をつかみ取った。しかし2023年も試練の幕開けとなった。3月、テスト走行中にタイヤの破裂によって車が時速200kmで壁に激突し、腰を骨折する大けがを負ったのだ。約1カ月で復帰したものの、練習もできないままぶっつけ本番で初レースに臨むことになった。「時速300km以上で走っていると、ほんのわずかな操作ミスでも次の瞬間にはコースを飛び出してしまいます。一日テスト走行すれば調子をつかめるけれど、初めて乗る車では自分の運転が悪いのかも、車のどこを直せばいいのかも分からず、苦戦しました」。感覚をつかみ始めたのは、シーズン中盤以降。そこから徐々に調子を上げ、最終戦で劇的な優勝を果たした。「最終戦、小学校からの同級生たちがチケットを買って、鈴鹿サーキットに応援に来てくれました。いつも仲間同士でふざけ合っている時と同じ調子で『20人も来たら、面倒くさいわ』と言いましたが、内心はすごくうれしかった。その仲間たちや家族が涙を流して優勝を喜んでくれた時は、胸がいっぱいで言葉になりませんでした」今年は、また新しい挑戦が待っている。目標の一つはSF界を今以上に盛り上げること。太田さん自身は「年間チャンピオンを取ることしか考えていません」と力強く前を見据えた。※掲載中の所属・回生などは取材時点のもの優勝に喜びを爆発させる太田さん 提供:日本レースプロモーション立命館大学学生の活躍レーシングドライバー太田 格之進さん(法6)2023年10月29日、鈴鹿サーキットで行われたスーパーフォーミュラ(SF)第9戦の決勝、太田格之進さんは先頭でゴールし、初優勝に輝いた。「現実のことではないんじゃないかと思うくらいうれしかったです。あれから毎日、思い出すたびにガッツポーズをしていました」と溢れる喜びを語った。名実共に国内トップレーサーの一人になった太田さんだが、「僕は決してエリートレーサーではありません。いろいろな人に助けられて、今ここにいる。だからこの一勝は、自分のためでもあるけれど、これまで応援してくれたり、支えてくれたりした人たちにお返しするためのものでもありました」と言う。3歳でカートに乗り始め、中学生の頃にはプロのレーシングドライバーを意識するようになったという太田さん。カーレーサーとして、常人には計り知れないスピードの世界で活躍しながら、小学校から大学まで立命館に通ってきた。「学校が好きで、通学を苦に思ったことはありませんでした。運動も得意だったけれど、勉強も楽しかった」。トップ選手の中には学業よりレースに注力する人もいるが、太田さんは「立命館に通って、本当に幸せだったと思っています。ここで出会った先生や友達に助けてもらったからこそ、両立できました」と言う。プロへの登竜門である選考会※で認められ、FIA-F4選手権への出場を決めたのは、2019年。ここでトップに立てば、さらに上位カテゴリーのスーパーフォーミュラ・ライツ(SFL)へのステップアップが見えてくる。しかし太田さんはランキング上位には食い込むものの、あと一歩昇格には届かないまま3年間を過ごした。「思えばこの時が一番苦しい期間だったかもしれません」。毎年新しいドライバーが次々とたくさんの支えを胸に目指すは 年間チャンピオン。

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