会報りつめい293号 デジタルブック
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小こ辻つじ寿ひさ規のり共通教育推進機構研究テーマ:孤立死問題(孤独死問題)、社会的孤立問題、誰でも集うことができ、そこに行け「社会的孤立に対する取り組み京都市)バザールカフェ(APRIL 202412立命館の研究者たち from 立命館大学の研究部から発行されている研究活動報『RADIANT』。 専門分野:地域研究、社会学、社会福祉学まちの居場所(コミュニティカフェ)、地域活性化、まちづくり立命館大学研究活動報『RADIANT』(ISSUE20再生,pp.14-15,2023.3)より一部変更し、転載RADIANT(ラディアント)は、立命館大学の多様な研究活動を紹介する研究活動報として2015年11月に創刊号(特集:アジア)を発行し、今年で10年目を迎えます。RADIANTは、「光を放つ、光り輝く」という意味を持つ形容詞です。今後、立命館大学の研究成果が光り輝く未来を生み出す一歩に、また、これからの世界を照らす一助になるという意味が込められています。今後も一つのテーマを切り口に、立命館大学で展開されている研究を幅広く紹介していく予定です。ば人との絆やつながりを感じられる。コロナ禍にあって、そんな「まちの居場所」の重要性が改めて注目されている。「『まちの居場所』は、孤独死や孤立死、無縁社会といった社会的孤立を巡る問題を解決する一策としてつくられるようになりました」と、コミュニティーの中の居場所について研究する小辻寿規は説明する。社会的孤立の問題が語られるようになって久しいが、いまだ有効な解決の手だては見いだされていないどころか、ますます深刻化しているという。過去の新聞報道をもとに社会的孤立問題の歴史を追跡した小辻らの研究によると、新聞紙上で「孤独死」「老人の孤独」といった言葉が見られるようになったのは、高齢化社会に突入したといわれる1970年頃からだという。とりわけ社会に衝撃を与えたのが、1995年に起きた阪神・淡路大震災後、仮設住宅での孤独死の報道だった。2000年代になると、孤独死の事例が次々に報道され、それまで見えていなかった社会的孤立が顕在化していく。その中で再び全国的な関心を呼んだのは2010年、NHKによる「無縁社会」キャンペーンだった。「『無縁社会』という言葉とともに、改めて社会的孤立が社会共通の課題としてクローズアップされました。2011年の東日本大震災後、『つながり』や『絆』に光が当てられる陰で社会的孤立への視線が薄れたものの、問題が解消されたわけではなく、今日まで続いています」。そして2020年からの新型コロナウイルス感染症拡大によって、社会的孤立は誰にとっても他人事ではない課題として認識されるようになったといえる。としては、地域の自治会や社会福祉協議会などによる『見守り活動』などがあります。しかしそれだけでは十分な解決策にならず、並行するかたちで居場所づくり活動が生まれてきました」。小辻の研究によると、居場所づくり活動の源流は、1995年の阪神・淡路大震災後の仮設住宅で、震災によって断ち切られた人間関係を回復する場として「茶話やかサロン」などが設けられたところにある。それから1999年に名古屋市で立ち上げられた「まちの縁側クニハウス」のように、地域の誰もが集える居場所がつくられていった。さらに2000年に介護保険制度が制定されて以降は、その対象から外れた高齢者に開かれた居場所が増加していく。「2000年代終わりからは『長寿社会文化協会』(東京都)、▶www.ritsumei.ac.jp/research/radiant/ 准教授多様な人々を包摂する持続可能な居場所を模索する

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