会報りつめい288号 デジタルブック
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片かた山やま芳よし宏ひろ高校卒業まで広島県で育ちました。親元を離れて一館かんの古本市で、外交官試験に関する本が目に留まりました。本には「試験に合格すれば、外交官になれる。語学研修を受けられて、さらに海外で勤務できる」と書いてありました。英語が好きで、「いつか外国に行ってみたい」と思っていた私にとっては、まさに夢のような職業だと思いました。問題は、試験が相当難しいことです。果たして私に合格する力はあるだろうか。悩みに悩んだ末に、国家公務員試験突RITSUMEI INTERVIEWAUGUST 20228駐モルドバ特命全権大使破を目指そうと決意。3回生の秋から1年間、必要な授業を受ける以外は早朝から夜遅くまで大学の図書館にこもり、試験勉強に没頭しました。そのかいあって無事合格し、1980年、外務省に入省しました。1年余りの本省勤務の後、語学研修に赴いたのは、ルーマニア。日本で話せる人が少ない外国語を身に付け、他の人とは違った言語の専門家になりたいと希望した結果でした。2年間の研修を終えると、ルーマニアの日本大使館に書記官として配属されました。社会主義国家だった1980年代前半のルーマニアは、日本とはまるで違う環境で、驚くことばかりでした。冬になると野菜や果物が不足し、食生活に困ったこともあります。そうした日常生活から「なるほど、計画経済にはこういう側面ルーマニア語を身に付け、 天皇陛下の通訳を務める外務省に入省して40年以上、世界各国に赴任し、数々の外交場面で活躍してきた片山芳宏さん。現在は東ヨーロッパのモルドバ共和国に駐在。国際交流をはじめ、開発支援や人道支援でも大きな役割を果たしている。さん(’80経済)人暮らしをしてみたいという気持ちと、京都への憧れから立命館大学への進学を決めました。大学では経済学を学ぶ一方、中学生の頃から好きだった英語の勉強も続けたいと思い、2回生から「ERS(英語読書研究会)」に所属しました。2回生の後期にキャプテンを任されてからは、サークルを運営する難しさも経験しました。人をまとめることがこんなにも難しいのかと、悩んだことを覚えています。将来について考え始めたのもちょうどその頃です。学がく而じ国際交流と支援活動に 人生をささげる

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