感染症の世界的な拡大や国際紛争など、AUGUST 20224人々の安全を脅かすような問題が次々と起きている中、日本のインテリジェンス研究をけん引する一人である小谷賢さんは、多くのメディアから専門家としての見解を求められ、忙しい毎日を送っている。国際政治や安全保障において「インテリジェンス」がいかに重要か、社会の認識が高まっている証しといえる。「『インテリジェンス』とは、平たく言えば『情報』のことです。しかし単なるデータではなく、理論的な分析を加え、ある目的にとって価値を持つ情報を『インテリジェンス』と呼びます」と言う。日本の学術界では、近年まであまり注目されてこなかったが、小谷さんは20年以上前に英国の大学でインテリジェンスを学んで以来、研究を続けてきた。小さい頃からアニメや漫画が好きで、高校時代、一番の愛読書は『ゴルゴ13』だった。「現実の世界情勢や国際政治の内情が描かれていて、そこから外交や情報機関に興味を持ちました」。その気持ちが大きく膨らんだきっかけは、1991年に勃発した湾岸戦争だった。衝撃を受けた小谷さんは「国際政治学を学びたい」と高3になって理系から文系に転向し、開設されて間もない立命館大学国際関係学部に進学した。入学当初は外交官に憧れ、英語の勉強に力を注いだ。英語研究会(ESS)に入ったこともその一つだ。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)への交換留学も決まっていたが、留学前の英語講習を受けるうちに「英語を身に付けても、話すべき『中身』がなければ意味がないと気付いた」という。まずは勉強して知識を身につけることが先決だと思い、留学を辞退。仲間数人と国際政治に関する勉強会を始めた。「ゼミの指導教官でもあった小林誠先生に文献リストを作っていただいて、片っ端から読み、勉強会でも輪読しました。国際政治には、法や取り締まる政府がありません。その中でどうやって秩序を保ち、平和を維持しているのか、それが不思議でした」と小谷さん。「思えば大学では勉強しかしなかった」と振り返るほどのめり込んだ。京都大学で修士課程を終え、英国のロンドン大学キングス・カレッジに留学した時、講義でたびたび話題に上る「インテリジェンス」という耳慣れない言葉に興味を引かれた。「幸運だったのは同じ頃、60年間非公開だった極秘のインテリジェンス資料が英国政府から開示されたことです。これまで誰も見たことのない資料を読めると知って、飛びつきました」。中でも小谷さんが注目したのは、暗号解読の記録だった。「第2次世界大戦中、日本が暗号でやり取りした外交文書が全て解読され、記録されていることに驚きました。表向きの歴史の裏でいったい何が起きていたのか、内幕をのぞき見る面白さに夢中になりました」。毎日公文書館に通い、膨大な資料を読むことに没頭。気がつけば1年以上が過ぎていた。帰国後に京都大学の博士課程を修了し、防衛省防衛研究所に勤務。今度はそこで、誰も開いたことのない日本の機密文書を見つけ出す。「興味深かったのは、日本も英国と同じように情報収集をしていたのに、それを十分活用できなかったことです。情報があってもそれをうまく使えなければ意味がない。インテリジェンスの重要性を再認識しました」20世紀までの情報収集は、暗号を解読したり、スパイが暗躍したり、秘密裏に行われるものだった。しかし現代は国が故意に偽情報を流したり、反対に戦争の実態を公開して人々に判断を仰ぐなど、情報をオープンにする時代になったという。それはすなわち一人ひとりの情報への向き合い方が問われるということでもある。「インターネットが発達し、入手できる情報量が増えた分『正しい情報』にたどり着くのは非常に難しくなっています。玉石混交の情報の中から価値ある情報を探し出すには、まず自分が何をしたくて、そのためにどんな情報が必要なのかをしっかり考えることが大切です。目的意識を持って自分から取りにいった情報なら間違いは少ないはずです」と語る。資料を一つひとつ読み込んで誰にも知られていない事柄を見つけ出し、歴史の裏に隠された事実をひもとく。「それが面白い」と研究の醍だい醐ご味みを語った小谷さん。「誰も手を付けていない分野だからこそ挑みがいがある」と、これからも未踏の地を目指す。
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