会報りつめい288号 デジタルブック
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AUGUST 202215祖父 (写真右から2人目)三ツ野 隆夫さん(’61理工) 京都府在住 京都市役所定年退職長男 (写真左から2人目)三ツ野 丈太朗さん(’18理工) 京都府在住 株式会社京都銀行父 (写真左)三ツ野 直樹さん(’89法) 京都府在住 学校法人立命館次女 (写真中央)三ツ野 華奈さん(’20国関) 京都府在住 黄桜株式会社長女 (写真右)三ツ野 巴奈さん(’15情理) 鹿児島県在住 京セラコミュニケーションシステム株式会社谷岡元総長(中央)、直樹さん(谷岡元総長右)子の部の京都府代表 (主将)として、21年ぶりに予選を勝ち抜き、国体に出場しました。 おじいちゃん子だった ので両親はもちろん、祖父も熱心に応援してくれるのがうれし かったですね。立命館 大学では周りがすごい選手ばかりで、大活躍とまではいきませんでしたが、4年間精一杯打ち込むことができました。直樹さん いまや立命館は全国屈指の強豪です。息子はハイ レベルな環境で最後までやり抜き、わが子ながらよくやったと思います。Ộお二方(巴奈さん・華奈さん)はなぜ立命館大学を選んだのですか。巴奈さん 立命館愛の強い祖父と父に影響されたのかもしれませんが(笑)、高校時代に父に連れられてBKCに行き、外国映画に出てくるような広くてきれいなキャンパスに憧れたのが理由の一つです。全国から多様な人が集まる総合大学で、人間関係の幅を広げたいという思いもあって立命館大学を選びました。華奈さん 私はそれほど強く薦められた記憶はありませんが、国際系のさまざまな大学を見た中で、「やっぱり立命館がいい」と自分の意思で決めました。直樹さん 中学から大学まで立命館で過ごし、本当に楽しかったから「立命館が一番いいよ」と胸を張って子どもたちにも薦めました。実際に選んでくれた時にはうれしかったですね。実は、妻とも大学のアイスホッケー部で知り合いました。立命館とは本当に縁があります。隆夫さん 息子や孫が立命館でアイスホッケーをするのは、私にとってはごく自然なことでしたが、二人の孫娘まで立命館大学に進学した時には不思議な感じがしました。家族としてだけでなく、「立命館」でもつながっている。そんな不思議な絆を感じています。Ộ大学で力を入れたことは?丈太朗さん アイスホッケーと勉強を両立させようと頑張りました。クラブ活動は、リンクが借りられる深夜。朝日が昇る頃に帰宅し、すぐ大学に行って放課後はアルバイトをしてまた練習という毎日で、ものすごくハードでした。その中で、1年間、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)への留学も経験しました。巴奈さん 私はオリターの活動に力を注ぎました。皆で遅くまで合宿や新歓の企画を考えたり、セミナーハウスに泊まり込んでイベントをしたり。先輩・後輩のつながりをつくれたのはオリター活動のおかげです。華奈さん 私はサッカー部(女子)での活動が思い出に残っています。4回生の秋、最後の試合に勝って一部リーグへの昇格を決めた時は、皆で抱き合って喜びました。直樹さん 子どもたちの試合には夫婦そろって、時には父とも応援に行きました。Ộ立命館大学で学んで良かったことは?巴奈さん 一番良かったのは、人間関係をつくれたこと。一生の友達ができたことが財産です。華奈さん 私もいろいろな人と出会って自分の考え方や視野が広がったのが良かったと、社会人になってより強く実感しています。隆夫さん 大学卒業後も、ホッケー部のOB会長や京都府アイスホッケー連盟会長などを務め、75歳までアイスホッケーに携わることができました。40年間、やりがいのある仕事を全うできたのも、立命館だったからだと思っています。その結果、叙勲までいただくことができました。直樹さん 私も37歳まで選手として現役を続けました。縁あって立命館に就職して25年以上になります。愛する母校で働いているなんて感慨深いですね。丈太朗さん 私も愛校心は人一倍強いです。「ここ一番」というときに踏ん張る力が身に付いたのも、アイスホッケーのおかげだと思っています。今は祖父と父、私、それに姉や妹も含め3世代でゴルフをするのが楽しいですね。巴奈さん 私が勤務する鹿児島に父と祖父が遊びに来て、一緒にラウンドしたこともありました。直樹さん アップダウンのあるコースでも、カートにも乗らずに回る父には驚かされますよ(笑)。隆夫さん これもアイスホッケーで鍛えた足腰があるからです。立命館とアイスホッケーのおかげで人生を楽しんでいます(笑)。華奈さん サッカー部時代の様子巴奈さん 学生時代の様子

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