会報りつめい287号 デジタルブック
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2019年、「犬のかたちをしているもの」が第43回 │巻頭特集│挑戦を続けるAPRIL 20226さん(筆名)(’11文)すばる文学賞を受賞し、小説家としてデビューを果たした高瀬隼子さん。2021年上半期には「水たまりで息をする」が第165回芥川龍之介賞の候補に選ばれ、文学界で注目を集める若手作家の一人となった。「小説家になりたいと思ったのは、まだ小学校に上がる前。ひらがなが書けるようになった頃でした」。ファンタジーや冒険物語など、好きな本をまねて物語を書き始めたのが最初だった。読むのも書くのも我流だった高瀬さん。新しい仲間や本と出会い、世界が広がるきっかけとなったのが立命館大学だった。「文学部哲学専攻では、ドイツ文学やフランス文学など、私が読んだことのないジャンルや作家に詳しい仲間がたくさんできました。『あの本、読んだ?』『この前の文学賞受賞作はどうだった?』なんて、誰かと本の話をする楽しさを初めて知りました」と振り返る。それを最も感じたのが、文芸サークル「立命文芸創作同好会」だった。毎週メンバーが書いた作品をみんなで読み、論評し合う。「自分の作品の感想を聞くたびに『そんな風に読まれるのか』と驚きや発見の連続でした。また他の人の作品を読んでどこがどう面白かったのかを語り合う中で、『深く考える力』が鍛えられました」ただ好きだから書く。それに満足せず「小説家になる」ために挑戦し始めたのも大学時代だった。初めて文学賞に作品を投稿するも落選。それでも諦めず、卒業後も働きながら少しずつ書きためて、数々の文学賞や新人賞に応募しては涙をのむ、その繰り返しが実に10年も続いた。支えになったのが、創作の喜びを分かち合ってきた同好会の仲間だ。「落選した小説は、卒業後も同好会の仲間と定期刊行している同人誌に掲載しました。誰かに読んでもらえることが、書き続ける力になりました」「80歳になっても書き続け、一生に一冊でも自分の作品を出版できたらいい」。半ば諦めの気持ちでいた高瀬さんの心に火がついたのは、30歳を目前にした頃だ。同好会の仲間の一人の作品が大きな賞の最終候補に選ばれたのだ。「仲間の快挙がうれしかった半面、ねたましくもあって。私は何をしているんだろうと焦りが募りました」と打ち明ける。集英社のすばる文学賞の応募締め切りが迫る中、仕事の繁忙期と重なって筆は進まず、これまでにないほど追い詰められた。必死で書き進め、締め切り直前にようやく仕上げた作品が、ついに受賞に至った。「『受賞なんて私の人生に起こるわけがない』と、もう投げやりな気持ちになっていたので、受賞の知らせを受けた時は本当に驚きました」高瀬さんの小説の源泉は、日常にある。腹の立つことがあってもすぐに言い返せなかったり、周囲で理不尽な目に遭っている人を見ても助けることができなかったり。そんな日々のもやもやした気持ちを作品へと昇華させる。物語を生み出すのは、楽しくも苦しい作業だ。1章分ほど書いてみて読み返し、「面白くない」と思うと全部削除して一から書き直す。デビュー後の第2作は、完成までに10回近くも書き直した。「一晩に数千字、原稿用紙数十枚分を書いては、翌日すべて削除することもしょっちゅうです。書いては消し、書いては消しの繰り返し。5カ月間毎日書いて、納得できる文章が1行も書けなかったこともありました」と創作の苦労を語る。プロとなった現在も、勤めながら小説を書く生活を続けている。残業が多い繁忙期は仕事帰りに深夜まで営業しているカフェに立ち寄り、1〜2時間執筆してから帰宅することも多い。「どれだけ苦しくても、書くことをやめたいと思ったことはない」という高瀬さん。プロの小説家として書き続ける原動力は、「自分の本が本屋に並ぶこと」と語る。「実家のある愛媛県の田舎町の小さな本屋さんの書棚に私の本の背表紙を見つけた時は、純粋にうれしかった」と明かす。本が売れないといわれる現代、とりわけ純文学の世界で書籍を出版し続けられる作家は多くない。長年の夢をかなえた今、「小説家として生き残っていく」という新たな、そして今まで以上に難しい挑戦が始まっている。「40歳、50歳になった時にこそ、書ける作品があると思う。そこにたどり着くために、ただ懸命に書き続けるしかない」。そう前を向き、また新たな物語を紡ぎ出していく。その時にしか書けない作品がある。そう信じて書き続ける。高たか瀬せ隼じゅん子こ小説家

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