「クラシック音楽のコンサート」と「雑多でにぎやかなコンサート当時はバラバラな楽曲が抜粋された形で並べられたコンサートが当たり前で、現代の音楽祭のような趣だったという。とりわけコンサートにあふれていたのが、人気オペラのファンタジーやバリエーションだった。「17世紀以降、音楽界ではオペラが圧倒的な存在感を放っていた一方で、劇や物語の要素を持たない器楽のコンサートは人気を獲得できませんでした」と宮本は解説する。コンサートが商業的な興行である以上、多くの聴衆を集める必要があった。そのためにオペラを含め、バラエティーに富んだプログラムが編成されたというわけだ。「芸術」としての側面が強調されがちなクラシック音楽にあって、宮本はその商業的な側面にも目を向けている。「18世紀、ベネフィット・コンサートの多くは劇場の催しの空白期、器楽奏者に稼ぎの場を提供するという意味も持っていました」。多くの器楽奏者にとってコンサートは、副収入を得る貴重な機会だった。1828年、ロンドンのキングス劇場では、オーケストラ団員に外部出演を禁じた音楽監督が、団員の集団辞職によってその任を追われるというスキャンダルまで起こったという。だが「器楽奏者が収入を補うために開いたコンサートが人々の器楽を聴く耳を育てていった」とも宮本は述べている。が主流の中、知的エリート層を中心に交響曲の『まじめな聴き方』を主張する声もありました」と続けた宮本は、「客席の音」に焦点を当てた興味深い分析を行っている。それによると、18世紀までのコンサートでは、演奏中に聴衆が立ち歩いたりおしゃべりしたりする光景がごく普通に見られた。ところが19世紀に入ると、聴衆は演奏中「沈黙し始めた」という。例えば1820年代から30年代、パリ音楽院の「公開練習コンサート」シリーズで「聴衆は総じて音楽を集中して聴いていた」という言説が残っている。また1813年のロンドンでは、音楽と聴衆の態度に対する議論の中で、「コンサートが開かれたキングス劇場は『最高』の階級が集まるはずの場であるにもかかわらず、その貴族がほとんど教育を受けていないために、半ば野蛮人の集まりだ」との批判が展開されたという。「社会的ステータスや教養の有無と音楽を聴く態度を結び付けて語ることで、『静かに聴く』ことが音楽を『理解している』人の態度であるという規範が形成されていきました」と宮本は言う。その中で「まじめな音楽の聴き方」が浸透し、19世紀後半になって聴衆に「沈黙」の習慣が定着したようだと分析した。そして時を同じくして音楽演奏の現場では、「まじめな芸術音楽」と「ポピュラーなコンサート」が明確に分化していったという。現代のコンサートでは、声を上げたり、身体を動かしたり、聴衆の音楽を聴く態度も多様化している。「それでもロックバンドやアイドル歌手のコンサートなど、ジャンルによってある程度ルール化された聴き方があります。それも面白い」と宮本。クラシックとポピュラー、近代と現代、その端境に視線を注いでいる。APRIL 202214立命館の研究者たち from 聞いて「オーケストラが壮大な交響曲を演奏する」といったイメージを思い浮かべる人は多いだろう。「現代のクラシック・コンサートでは、管弦楽が奏でる交響曲と、ソリストをゲストに迎えた協奏曲、そして15分程度の短い序曲で構成されたプログラムが一般的です。しかし18世紀のヨーロッパでは、まったく異なる形式でコンサートが催されていました」と明かしたのは宮本直美だ。宮本は、歴史社会学的な観点から音楽活動や音楽芸術観の変遷を追い、社会の中で「芸術の価値」がどのように形づくられてきたのかを研究している。これまでの研究で、コンサートを近代ヨーロッパの「文化装置」とみなし、その場でプログラム編成や音楽の聴き方、さらに音楽の意味づけがどのように模索されてきたのかをつまびらかにしている。とりわけこの研究が他と一線を画するのは、従来「器楽」のジャンルで語られてきたクラシック・コンサートに、「声楽」の枠組みで捉えられるオペラの歴史を組み込み、論じたところにある。宮本は18~19世紀、ヨーロッパ各国で催されたコンサートのプログラムを精査し、どのような曲目が演奏されていたのかを調査。「コンサート」という興行が現代のフォーマットになるまでに幾多の試行錯誤があったことを指摘している。「18世紀末のコンサートのプログラムを見ると、声楽曲もあれば交響曲の一楽章、多様な楽器による協奏曲もあり、あまりに雑多で統一性を欠いていることに驚きます」と宮本。立命館大学の研究部から発刊されている研究活動報『RADIANT』。 立命館大学の研究部から発刊されている研究活動報『RADIANT』。
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