286
6/32

2021年春、二人の卒業生が福島ユナイテッドFCの│巻頭特集│スポーツが未来を変える福島ユナイテッドFCさん(’21産社)[右]メンバーとしてプロサッカーリーグのピッチに立った。産業社会学部の同級生でもあった田中康介さんと延祐太さんだ。二人はそれぞれ「プロサッカー選手になる」という夢を抱いて立命館大学に進学。関西学生サッカーリーグ1部に所属する体育会サッカー部で4年間を共に過ごした。4回生の時、田中さんはキャプテンとしてチームをまとめる役割も担った。「一歩下がってチーム全体を見渡し、伸び悩むチームメートの意欲を高めたり、良いところを引き出したりと、『人を見る』力がつきました」と田中さん。自分は試合に出られなくてもチームのためにがんばる選手にも目を配るようになった。「誰かのために力を尽くす。その思いは人一倍強くなりました」と自身の成長を語る。チームメートに影響を受け、成長したのは延さんも同じだ。「練習が始まる1、2時間前にグラウンドに行ってチームメートと一緒にシュート練習をするのが日課でした。努力家で向上心の高いチームメートがいなかったら、きっとあそこまで高い意識で練習に打ち込めなかったと思います」と延さんは語る。そんな二人が「一番の思い出」と振り返るのが、3回生の夏、プロ・アマのトップチームが競う天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会に出場し、2回戦でJ1に属する横浜F・マリノスと対戦したことだ。「試合には負けてしまいましたが、プロのトップチームに真っ向からぶつかって、『プロでもやれる』という手応えをつかんだ。ずっと夢見てきた舞台が、目標に変わった試合でした」と田中さん。その言葉通り、二人はプロサッカー選手になった。福島県を本拠地とする福島ユナイテッドFCは、現在J3リーグに所属。2021年シーズンは、J3優勝とJ2昇格を懸け、激しい上位争いを繰り広げた。意欲にあふれて入団した二人だったが、最初はプロの厳しさに圧倒された。「サッカー人生で初めて試合に出られない悔しさを味わいました」と延さん。結果を出せず、試合のたびに一喜一憂する日々が続いた。そんな延さんをさん(’21産社)[左]延のべ祐ゆう太た変えたのは、「成功することも大事だが、成長していくことの方がもっと大事だ」という監督の言葉だった。「それからはどんなことも成長の糧にしようと、前向きにプレーできるようになりました」と語る。田中さんも「プレッシャーに打ち勝って結果を出してこそプロ。そのために今、もがいています」と熱い胸の内を明かす。Jリーグのクラブは、サッカーだけでなく、それぞれ地域に根差した社会連携活動も行っている。中でも福島ユナイテッドFCは、2014年に「農業部」を立ち上げ、選手・スタッフが地元の農家と農業を行っていることで知られる。発端は2011年の東日本大震災後、風評被害で福島県産の農作物が売れなくなってしまったことだった。福島県に拠点を置くクラブとして「協力したい」と始めたのが、「農業部」の活動だ。福島県下の農園で選手自ら桃・リンゴ・梨・アスパラガスなどを栽培。収穫した野菜や果物をイベントや試合、オンラインショップで販売している。田中さんと延さんもチームメートと交代で週1回、午前中に練習を終えた後、午後から農園で3~4時間、農作業に汗を流す。「大きな影響力を与えられるプロスポーツチームだからこそ、福島県の農作物の良さを日本中の人にアピールできると思っています」と田中さんは言う。延さんは「プロサッカー選手が農業に参加することがPRにつながるだけでなく、農家の人たちの温かさに触れたり、応援の言葉を掛けてもらうことで、自分たちも力をもらっています」と続ける。コロナ禍でイベントなどが次々中止になり、地域の人々と触れ合う機会は減少した。「自分たちが試合で結果を出せば、観客動員数も増え、福島の農業の知名度も高められる。もっとたくさんの人を巻き込み、地域の力になりたい」と田中さん。延さんも「応援してくださる人への感謝の気持ちをピッチで表現したい。それがまた多くの人の力になると思っています」と語る。少しずつ出場機会を増やしている二人。自らの成長が地域の力になると信じて戦い続ける。サッカーと農業に全力。地域の力になると信じて。田た中なか康こう介すけ福島ユナイテッドFC

元のページ  ../index.html#6

このブックを見る