校友会報「りつめい」No.283(2021 JANUARY)
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アメリカ・ニューヨーク。ブルックリン区にJANUARY 20215PROFILE石川県出身。立命館大学JAZZ CLUBに入り、サックスを始める。ビッグバンドなどで活躍。2007年、アメリカ・バークリー音楽大学に入学。卒業後はニューヨークを拠点に活躍。2019年にアルバム「Midnite Cinema」をリリース。2020年8月にはリモートで録音したシングル「Ocean Park Cafe」をリリース。「外出できない皆さんに南国気分を届けたい」との思いを込めた。「Ocean Park Cafe」の視聴はこちらから▶建つビルの屋上で、ある夜、サックス奏者の石当あゆみさんが参加するバンドのジャズライブが行われた。新型コロナウイルス感染症の拡大が深刻化したアメリカでは、2020年3月以降、ライブハウスなどは全て営業停止となった。活動の場を失ったミュージシャンたちは今、屋外空間などで自主的に演奏活動を続けている。石当さんもそんなプロのミュージシャンの一人だ。これまで10年にわたり、「ジャズの聖地」といわれるニューヨークで活動してきた。今やアメリカで確かな地歩を築いている石当さんの原点は、立命館大学にある。子どもの頃から音楽が好きで、とりわけ憧れたのが、サックスだった。しかし触れるチャンスがないまま、立命館大学に進学。立命館大学JAZZ CLUBに入り、サックスを手にしたことが、石当さんの人生を変えた。「誰かと一緒に音を奏でた瞬間の、何にも代えがたい心が躍る感覚。それに取りつかれてしまいました」。それからはうまくなりたい一心で、授業の合間や昼休みにも練習に打ち込み、みるみる腕を上げていった。特に楽しかったのが、十数人で編成するビッグバンドでの演奏だ。「一番の思い出は、3回生の時のラストライブです。メンバーに選抜されてから1年間、さまざまな苦労を乗り越えた集大成の演奏は、今も忘れられません」と語る。心から熱くなれるものに出会い、大学を卒業した石当さんが選んだのは、アメリカで本格的にジャズを学ぶ道だった。2年間、働いて学費を貯め、世界に名高いバークリー音楽大学(ボストン)に進学。「最初はみんなのレベルの高さに打ちのめされましたが、必死についていきました。尊敬を集める名物先生からジャズの即興演奏の組み立て方や作曲へのアプローチ法を教わるなど、ここで得た知識や技術は、今も大きな糧になっています」と言う。「いつかはニューヨークで活躍したい」。そんな願いを胸に、卒業後はバークリーでできた仲間と共に憧れの街へ。ジャズ・バーなどで毎夜開催されるセッションに飛び入りで参加し、チャンスを探した。だが、世界中から集まるミュージシャンとの競争は激しく、下積み生活は何年にも及んだという。人と比べて自信をなくし、挫けそうになったこともある。「でも、ある時気づいたんです。人と技術を比べることよりも、自分だけが持っている個性を素直に表現することが大切だと」。それを機に、さまざまなバンドから誘いの声がかかるようになる。求められる音楽はジャズだけではなかったが、石当さんは培ってきた技術でどんなジャンルも吹きこなした。さらに自らバンドを結成。自作の曲を演奏する他、アメリカ、日本、そして世界でアルバムを発売するまでになったのだった。コロナ禍でライブの機会を絶たれていた間、石当さんは再開を信じ、作曲や新曲のレコーディングに精力を傾けた。自粛ムードがやや緩和され、久しぶりに観客を前にライブを開催できたのは、6月のことだ。「想像以上に大勢の人が来てくれて、驚きました。みんなが喜んでくれたのが何よりうれしかったですね。演奏する私たちだけでなく、観客にとってもライブミュージックは約3カ月ぶり。奏者と観客が音楽を通して一体になる。そんな生演奏ならではの感動を観客も待ち望んでいたんだと実感しました」。音楽には自らの心を満たすだけでなく、聴く人を癒やす力もあることを改めて強く感じたという石当さん。それまではひたむきに技術を磨くことに心血を注いできたが、今は少し違った未来を見つめるようになった。「これからは人の心に寄り添う演奏をしていきたい。そうした想いが演奏を通じて聴く人に伝わればうれしいですね」と言う。その一つとして、最近、人権や社会問題を綴った詩の朗読に合わせてサックスを演奏する活動にも挑戦し始めた。「音楽と共に言葉を通じて、より強く人の心に響くメッセージを伝えていきたい」。困難を乗り越えた先に、石当さんにしか奏でられない新しい音楽が生まれるかもしれない。

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