会報りつめい292号 デジタルブック
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史を数える綿善旅館。畳に障子戸、床の間のしつらえがすがすがしい和の客室、板前が腕を振るう京料理、かつての旅籠ならではの趣を大切に守っている。おかみを務めるのは、小野雅世さん。2011年に家業の 綿善旅館に入ってから10年余り、国内外から観光客が大挙して京都を訪れ「オーバーツーリズム」といわれた頃から、あらゆる往来が制限されたコロナ禍まで、激動の中で旅館をけん引してきた。大学時代は、政策科学部での学びに課外活動、アルバイトと、アクティブな毎日を送った。「正課では、情報を収集し、それをいろいろな角度から見て判断する力を培いました。何より良かったのは、政策提言にとどまらず、それを実践するところまで学べたこと。経営に携わるようになって、頭で考えるだけでなく、実行に移すことの大切さを実感しています」。課外では、ラグビー同好会のマネージャーに加え、オープンキャンパススタッフとしても活動。100名近い学生スタッフをまとめる総リーダーも任された。「一人ひとりの良いところを生かすと、組織はうまくいく。何度も壁にぶつかりながら、それを身をもって知った経験が旅館の経営に役立っています」と言う。「いつかは継がなければならないと覚悟しつつ、自分で人生を決めたいという反抗心もあって」と、卒業後は三井住友銀行に入行し、総合職として3年半働いた。人とつながり、その人を幸せにする仕事にやりがいを感じていたことから、結婚後アルバイトとして家業を手伝い始める。そこで目の当たりにしたのが、活気を失い、無気力な空気が漂う旅館の姿だった。働くやりがいを見いだせない様子のスタッフにがくぜんとした小野さんは、改革を決意する。やるからには「日本一の旅館にすること」だと言う小野さん。そこには「200年近く続けてきた歴史を途切れさせるわけにはいかない」という強い思いがある。「誰かの犠牲の上にある幸せは長続きしない。だからお客さま、スタッフ、取引先、地域の方々、うちに関わる全ての人を幸せにすることが大切だと思っています」それにはスタッフの信頼を得ることが先決だと考え、約3年間は徹底してスタッフの話を聞き、それに応える業務改善に乗り出した。iPadやLINEを活用し、社内の情報共有と業務の効率化を実現。客観的な人事考課制度を導入するとともに、スタッフのスキルを可視化し、柔軟な人材配置で生産性を高めた。観光庁の「生産性向上モデル事業」に選ばれ、そこで得た支援も力にした。その結果、サービスの質を落とすことなく労働時間を減らし、スタッフの休みを増やすことに成功。2017年には、内閣府の「生産性向上国民運動推進協議会」で成果を報告した。「一番の成果は、スタッフの皆さんが『変わらなければならない』と気付いてくれたこと。以来、スタッフが主体的にアイデアを出し、常に新しいことに取り組むようになりました」インバウンドの増加によって宿泊客が増える中、コロナ禍に見舞われた。しかし小野さんはまったくくじけていない。売り上げの激減は打撃だったが、「ヒートアップする観光業界で見失いそうになっていた原点に立ち返る、良い機会をもらったと考えています」と前向きだ。地域の人々と関わりを深められたのも、コロナ禍だからだった。節分に地域住民向けに恵方巻の宅配サービスを実施したり、休校中の小中学生を預かる「旅館で寺子屋」を催すなど、数々の取り組みを通じて、地域住民はもとより取引先や同業他社とのつながりも強くなった。再び多くの観光客が京都を訪れるようになった今、小野さんは集客を増やすのではなく、サービスの質を上げ、顧客満足度を高めることに注力している。「お客さまにとっては一生に一度の旅かもしれない。そんな大切な時間を過ごしていただく場所だということを忘れずにサービスする仕組みをつくっていきたい」と言う。小野さんが目指す最高の接客は、決して高級志向ではない。「理想は、田舎のおばあちゃんの家に来たようにくつろげる旅館。お客さま同士も気心の知れた仲のように安心してお話しできる、そんな空間にしたい。2030年に創業200年を迎えるまでに、そんな旅館を完成させたいと思っています」DECEMBER 20236さん(’07政策)全ての人を幸せにする 「日本一の旅館」を目指して。綿善旅館 おかみ 小お野の 雅まさ世よ1830(天保元)年の創業以来、200年近い歴

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