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江戸時代から約300年にわたって京都で扇子を製造・販売する家に生まれ育ちました。父親が立命館大学出身だったこともあって、私も同じ大学に進学。とはいえ当時は勉強よりもアルバイトに熱心で、真面目な学生とはいえませんでした。数週間スキー場などに泊まり込んで働いたり、バックパック一つで旅に出て、所持金が尽きたらそこでしばらくアルバイトをして旅費を稼ぎ、次の土地に行くという「無銭旅行」で全国各地を歩いたりしたこともあります。またキャンパス近くの東映京都撮影所では、エキストラのアルバイトもしました。時代劇の撮影現場で大スターを垣間見たことも。映画が好きになったのは、その頃からです。けれど自由に飛び回る生活は、それほど長くは続きませんでした。「父が胃潰瘍で倒れた」という知らせを受けたのは、大学を休学してアメリカに留学していた時のことです。ちょうど夏に向けて扇子作りが始まる一年で最も忙しい時期だったため、すぐに帰国し、会社を手伝うことに。いずれは継ぐつもりでいたものの、あまりに急で戸惑いながらのスタートでした。幸い父はほどなく復帰しましたが、私は学業と並行しながら仕事を続け、卒業と同時に山岡白竹堂に入社しました。京都には数百年続く会社が珍しくありませんが、その多くが「新しいもの好き」の性分を秘めているように思います。当社が300年も続いてきたのも、変化を恐れず、新しいものを柔軟に取り入れる気質があったからだと考えています。私APRIL 20218行く先々でアルバイトをしながら各地を旅した撮影:中尾 歓都己RITSUMEI INTERVIEW生活スタイルに合わせた新商品を開発するなど「今」の暮らしを彩る扇子を提案し続けている。京都で300年以上、扇子を製造・販売してきた株式会社山岡白竹堂。十代目を継いだ山岡憲之さんは、コロナ禍の中、伝統を守るだけでなく、変化することで続けていく秘訣を聞いた。株式会社山岡白竹堂 代表取締役さん(’88経営)チャレンジ精神と 行動力が持ち味扇子を創る山やま岡おか 憲のり之ゆきいつの時代も 「今」の暮らしを彩る

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