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もそんな京都人の一人です。新しいこと、経験のないことにチャレンジしたいという思いは人一倍強く、入社後は営業担当として新しい販路の開拓に奮闘しました。思い出深いのは、1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会(花博)」の会場で商品を販売したことです。「世界中から人が集まる博覧会で当社の商品を売りたい」と思った私は、「花博」にちなんで花の香りをまとわせたうちわを開発。博覧会に納入できるのは大阪府内の会社に限ると聞かされていたにもかかわらず、思い切って取次業者に持ち込みました。当然ながら最初はまったく相手にされませんでしたが、諦めずに何度も食い下がり、熱意で契約にこぎつけました。うちわは花博会場内のショップで販売され、想像以上の高い人気を得て、とてもうれしかったですね。事業の一方で、大好きな音楽が縁でチャリティー活動にも注力してきました。きっかけは、長崎県の雲仙・普賢岳の災害後、若い頃から歌を聴き大ファンだったミュージシャンの泉谷しげるさんが、チャリティーライブで被災地を支援しておられると知ったことです。胸を打たれた私は、面識もないまま「チャリティーに協力させてください」と名乗り出ました。そこで、泉谷さんが快く描いてくださったイラストをあしらった扇子を販売し、売上金を寄付したのが「チャリティー扇子」の始まりです。2011年の東日本大震災後も10組のミュージシャンにデザインを提供していただき、復興支援に役立てました。仕事でもチャリティー活動でも、新しい一歩を踏み出す時、いつも背中を押してくれたのは、「好き」という気持ちです。その気持ちがあれば、難しいと思えることでも大胆にぶつかっていくことができました。もちろん今日までずっと順風満帆だったわけではありませ享保年間から今日まで当社が続いてきたのは、その時代、時代で一般の方々に愛され、私たちの扇子が広く使われているからに他なりません。「老舗の扇子」と聞くと「ふだんの暮らしには縁遠いもの」と思われがちですが、私は現代でも一般の方々に日常生活でこそ扇子を使っていただきたいと考えています。そのために京扇子作りの技を生かしつつ、現代のライフスタイルに合った商品を考案してきました。革やデニムなどの素材を使ったメンズ商品を開発したのもその一つです。鹿革を何度も染め直して風合いを追求し、デニムの産地である岡山県に足を運び、ダメージ加工の現場を見て納得できる素材を選ぶなど、現代の男性に「かっこいい」と思っていただけるよう徹底的にこだわりました。ん。大口の取引先だった大手スーパーチェーンが倒産した時には大打撃を受けました。倒産の一報が飛び込んできたのは、その取引先から支払金が振り込まれる前日。結局、一年で最も扇子が売れる7月と8月の売り上げが入金されず、この時ばかりは私も頭が真っ白になりました。自社店舗や百貨店の売り上げでどうにか窮地をしのぎましたが、その後新しい取引先を獲得し、経営が安定するまでには何年もかかりました。そうした苦い経験も経て、父から会社を引き継いだのは43歳の時。そして2018年、創業から300年を迎えた節目の年に、代々当主が受け継いできた名跡である山岡駒こま蔵ぞうを十代目として襲名しました。APRIL 202110老舗の趣を感じさせる京都本店食事中に手軽に口元を覆えるお口元扇子時代に合った 扇子を考案

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